2009年06月29日

ニールス・ボーアらの提示したコペンハーゲン解釈では

ニールス・ボーアらの提示したコペンハーゲン解釈では、観測が行われると、状態を記述する波動関数は一つの状態に収縮しているとする。ここで、何時どのようにその状態が実現したのかについては説明を与えない。これに対し、アインシュタインらは、量子力学では記述されていないが実際にその状態を実現させた変数が存在するはずだ、と主張した(局所的な隠れた変数理論)。また、確定時期を特定することの困難を指摘する思考実験として、有名な「シュレーディンガーの猫」の例が示された。

しかしながら、局所的な隠れた変数理論は、量子力学とは異なる結論を出すことがベルの不等式によって立証され、実験検証(アスペの実験)によって棄却された。量子力学と同じ結論を出す、非局所的な隠れた変数理論は存在する。ただし、この理論は、クラスター分解性を持たず文脈依存性があることが知られている。

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その他さまざまな解釈がなされているが、量子力学は必ずしも素朴実在論や決定論の是非を決定付けるものではない。

コペンハーゲン解釈はどのようにして観測によって波動関数が一つの状態に物理的に収縮するのかは説明しないが、波動関数の収縮を量子力学の数学的枠組みで説明することができないことがフォン・ノイマンによって指摘された。そこで、ノイマンは、収縮は観測という人間の行為と同時に起こる、として、量子力学の枠組みで説明できない意識を導入し、意識と相互作用する際に収束がおきるという主張をした。ウィグナーは人間の意識の特別な意義を重要視する姿勢を示した。他に、ペンローズも意識や心と量子力学を関連させて論じている[1]。 しかし、観測の過程において、何時、どのようにして収縮が起きたかについては、それを論じる理論もなければ、それを示す証拠もなく、今日でも完全な合意は形成されていない。収縮が起きる瞬間を明確に特定できない以上、人間が認知した瞬間に起きることだけを前提として観測による状態の変化に意識が介在するという考え方に踏み込む必要性は全くないと言える。

2009年06月12日

筋萎縮性側索硬化症

筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう、amyotrophic lateral sclerosis、通称ALS)とは、重篤な筋肉の萎縮と筋力低下をきたす神経変性疾患で、運動ニューロン病の一種。きわめて進行が速く、半数ほどが発症後3年から5年で呼吸筋麻痺により死亡する。有効な治療法は確立されていない。

有名な患者ルー・ゲーリッグから、ルー・ゲーリッグ病(Lou Gehrig's disease) とも呼ばれる[1]。ICD-10ではG12.21。日本国内では1974年に特定疾患に認定された指定難病である。

1年間に人口10万人当たり2人程度が発症する。好発年齢は40代から60代で、男性が女性の2倍ほどを占める。日本では紀伊半島に多く、高齢化の影響も加味すると発症は1年間人口10万人当たり10人に及ぶ。グアムも多発地域である。90%程度が遺伝性を認められない孤発性である。残り10%程度の遺伝性ALSでは、一部の症例に原因遺伝子が同定されている。遺伝性ALSの20%程度を占めるとされる、常染色体優性遺伝のALS1は21番染色体上のSOD1(スーパーオキシドジスムターゼ1遺伝子)に突然変異がある。
かつての紀南地方やグアム、西ニューギニアで好発する原因としては、飲用している水質のミネラル成分(マグネシウムやカルシウムなど)が極端に少ない一方アルミニウムやマンガンの成分が多いことも有力視されている
スノーボード
ベジタリアニズム
キャラクター
絵画
甲殻類
潮干狩り
相撲
就学前教育
月経
緩歩動物
エイズ、HIV感染
信越地方
切り絵
鳥類
新婚旅行
盆栽
夜景
御節料理
カーナビゲーション
里山

原因は不明である。グルタミン酸が興奮性の神経伝達物質として働き、運動ニューロンを過剰刺激して細胞死を起こすという説(グルタミン酸仮説)があり、現在認可されている治療薬リルゾールはこの仮説に基づいて開発された。ヒト変異SOD1を発現するマウス(SODマウス)は筋力低下と筋萎縮を示して死亡することから、ALSのモデル動物として研究されている。現在までに次のような病態が明らかにされた。この他、環境因子の関与、神経栄養物質の欠乏説、フリーラジカル説などが考えられている。

タンパク質の異常凝集
異常タンパク質の分解系の異常
ミトコンドリアの異常
かつて血管拡張因子と考えられていたタンパクの機能異常
スーパーオキサイドの過剰産生による(周辺細胞を含む)細胞死
SOD1マウスで延命効果があった多くの治療が臨床治験に至っている。

2009年06月07日

リンカーン大統領が1セント硬貨に描かれるようになって

2009年は、リンカーン大統領が1セント硬貨に描かれるようになってから100周年(同時に生誕200周年記念でもある)を迎えるため、記念行事の一環として4枚の記念硬貨の新デザイン案が持ち上がっている。この案は2005年の大統領1ドル硬貨法案(Presidential $1 Coin Act)の一部として議会で通過されている。これは2009年に、1909年鋳造の銅の含有量で造られた、コレクション用1セント硬貨の発行を命じるものであった。2010年には1セント硬貨が完全にデザインを一新する予定であり、新しいこれらの硬貨は一般流通用として世に出回ることになっている。しかし、表側のリンカーンの肖像自体はそのままデザインとして残る予定である。ただ、同年には使用される金属も銅メッキの亜鉛に戻されるだろうと考えられている。
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様々な人々から、1セント硬貨は通貨単位から廃止されるべきとの提案がなされている。理由は様々だが、アメリカに住む多くの人々は1セント硬貨を実際には使っておらず、受け取ったお釣りに入っている程度か、もしくはより上位の通貨単位に両替するため銀行に赴くのみであるとの指摘も含まれている。近年に製造された自動販売機も実際には1セント硬貨を受け付けておらず、実用性も更に薄くなるばかりか、最近の金属価格高騰により現在の硬貨の鋳造にかかる費用が、実際の額面価値を超えている点も挙げられている。またこうした論争が議会にまで拡大した例として、2001年と2006年にはアリゾナ州選出の下院議員、ジム・コルベによりセント硬貨の鋳造を中止する内容を盛り込んだ法案が提出されている(2001年の法案は「Legal Tender Modernization Act」、2006年の案は「Currency Overhaul for an Industrious Nation Act、略称COIN」)。

2009年04月24日

ブラック・インディアン

ブラック・インディアンは、アフリカ人とネイティブ・アメリカン両方に祖先を持つ人間、またはネイティブ・アメリカンに同化して生活してきたアフリカ系アメリカ人などを指す。

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現在の考古学会によると、アメリカ大陸に最も古く(約5万年前)から居住していた民族は、ネグロイドまたはオーストラロイド型の遺伝子を持っていたという。モンゴロイド型ネイティブ・アメリカンが約9000年前アメリカ大陸にたどり着き、先住していたオーストラロイドと混血していった。現在アメリカ大陸先住の純粋なオーストラロイドは消滅したとされる。スペイン人侵略者は、現在のハイチ、パナマやテキサス州ブラウンズビルにあたる地域で、黒色人種の存在を記録している。歴史学者Ivan van Sertimaや言語学者Barry Fell などは、アメリカ大陸に存在した古代アフリカ人について書いている。彼らの主張によると、「オルメカ人の有名なストーン・ヘッドはアフリカ人を描いたもの」らしいが、多くの中央アメリカ人学者はこれを否定している。

法医学者は、現在のアフリカ黒人とネイティブ・アメリカンに共通する上歯茎や上顎の突出した頭蓋骨特徴は、アジアのモンゴロイドにはみられない、と以前から記述してきた。彼らによれば、古代のネグロイド・オーストラロイドと後からアメリカ大陸にやって来たアジア系モンゴロイドの混血によって、この現在のネイティブ・アメリカンの姿が形成したとされる。

2009年04月06日

特殊なチューニング

以下に挙げるようなコードの構成音に従ったものは、一般に「オープン・チューニング」と呼ばれ、それらを含めた特殊なチューニングは、「変則チューニング」と呼ばれることが多い。 例えば「オープンGチューニング」とは全開放(フレットを何も押さえてない状態)で全弦を同時に弾いても、スタンダードチューニングで「G」を押さえてる状態と同等になるようにする事である。

D-G-D-G-B-D
オープンGチューニングの典型。ブルースやスライドギターでよく使われる。ローリング・ストーンズのキース・リチャーズは、このチューニングから6弦を外して5本弦でプレイし、多くの名曲を生み出した。
E-B-E-G#-B-E
オープンEチューニングの典型。
D-A-D-F#-A-D
オープンDチューニングの典型。いずれもロック、ブルース、フォーク系で使われることが多い。
D#-G#-C#-F#-A#-D#
ハーフステップダウン・チューニング、全弦半音下げ。ロックでは頻繁に用いられる。全ての弦を半音下げたチューニング。シャープやフラットが5個以上の調の曲で使われる場合が多い(全て1音下げると、ホールステップダウン・チューニング(全弦全音下げ)と呼ばれる。以下、全弦一音半下げ、二音下げ、二音半下げ…と続くが、一音下げ以降は、デスメタルなどの一部のジャンルにしかみられない)。
D-A-D-G-B-E
ドロップDチューニング。フォークでよく使われる。1?5弦はスタンダードチューニングで、6弦(最低音弦)のみ、1音下げてD音となっている。クラシックギターにおいてもニ長調の曲などでよく用いられるチューニングである。また、最低音を下げることによる低音の厚みや低音側の3弦でのパワーコードの押弦が容易になるなどの理由でヘヴィメタル、ハードロックでも用いられる。
(このドロップDを行った上で全弦全音下げを組み合わせる、いわゆるドロップCなども存在する。)

D-A-D-G-A-D
特殊なチューニングながら、一部では多用されている。その弦の音程から、「ダドガッド・チューニング」などと呼ばれる。レッド・ツェッペリンの「カシミール」がダドガッドの代表的な楽曲。
その他、各コードに合わせたチューニングやそれらを組み合わせたバリエーションもあり、独自のチューニングを用いて演奏するミュージシャンも少なくない。スラックキーギターでは、ミュージシャンごとにチューニングが違うと言われるほどである。またスティール・ギターでは、長和音ではないAm、EmやC6などのオープン・チューニングも多い。

その他のギターのチューニング [編集]
レキントギター、は本来スペイン語のquintoから造語されたもの。つまり5度の意味で普通のギターより完全5度上のB-E-A-D-F#-Bに調弦される。ただし日本に伝わったころこのギターに張る弦がなく、太い弦では切れやすいため、完全四度上のA-D-G-C-E-Aに調弦された。おもな演奏者はロス・インディオス・タバハラスである。

ギタレレは、普通のギターの完全四度上のA-D-G-C-E-Aで調弦される。

テナーギターと呼ばれるものもあり、これは一般にC-G-D-Aで調弦される四弦のギターで、多様な変則チューニングに対応できることから1960年代のフォーク・シーンで愛用された。

19世紀末に考案され、コントラバスのチューニングと同一のキタローネ(同名の古楽器とは全くの別物)が、1920年代のマンドリンオーケストラで活躍したものの、音量の少なさ、楽器の調達難、奏者の確保難などの理由により、やがてコントラバスで代用されてゆく。

アルチキタルラは、マンドローネと同じくA-D-G-Cに調弦され、これもマンドリンオーケストラ用に開発された楽器だが現在では奏者がほとんど見つからない。

新堀ギターメソードにおけるギターのパート名とチューニング [編集]
日本では、新堀寛己博士が開発した新堀メソードオリジナルギターにおいて、同氏が考案したギターオーケストラのなかで演奏される27の異なったギターを有しており、ピッコロ、ソプラニーノ、ソプラノ、複弦ソプラノ、アルト 、プライム 、バス 、7弦バス、コントラバス、ギタロン、アルトチェンバロ、複弦アルトチェンバロ、ソプラノ型複弦アルトチェンバロ、プライムチェンバロ、複弦プライムチェンバロ、バスチェンバロ、のようにそれぞれ異なった名称で呼ばれている。

例として、

ピッコロ
アルトギターより1オクターブ高く調弦する。1?3弦は複弦。
ソプラニーノ
アルトギターの1オクターブ上に調弦する。
ソプラノ
プライムギターより1オクターブ高く調弦する。
複弦ソプラノ
12弦のソプラノギター。原則としてプライムギターより1オクターブ高く調弦する。
アルト
プライムギターより5度高く調弦する。
プライム
低音側(6弦)の弦から「E-A-D-G-B-E 」とするスタンダード・チューニング。
7弦バス
プライムギターより4度低く、アルトギターからは1オクターブ低く調弦する。
コントラバス
プライムギターの1オクターブ下に調弦する。
ギタロン
プライムギターより1オクターブ低く調弦する。

奏法 [編集]
通常は利き腕の反対側の手でネックを持って弦を押さえ、利き腕の手で弦を弾くことになるが、必ずしもその通りであるとは限らない。左利きであっても左利き用のギターを用意できない(値段や商品の数などで大きく不利)ために右利き持ちをしたり、利き手に関わらず通常とは逆の持ち方が当人には自然であるという場合がある。

弦を押さえる手は、ネックの下側をくぐるようにして親指をネックの裏側に当て、人差し指から小指までの4本の指で弦を押さえるのが基本姿勢となる(クラシックスタイル)。また、親指を表(指板)側に出してネックを握り込むようなスタイルも、主にブルースなどで用いられる。視覚や身体に障害を持つ演奏者の場合には、ネックの下側から指を出して弦を押さえるのではなく、上側から指を被せるようにして弦を押さえて演奏する者もいる。

演奏における姿勢は椅子に座って左足を踏み台に乗せ、脚の位置を高くしてボディ側面のくぼみ(現在はくぼみのないデザインの物も存在する)を左脚の太股に乗せ、ギターを体全体で抱えるような姿勢で演奏をする。現在は踏み台は使わずに右脚の太股にギター側面のくぼみを乗せて演奏をする例も見かける(その際、右脚を上にして脚を組む場合と、そうでない場合がある)。クラシックギター以外はストラップで肩から下げ、立って演奏することも多い[1]。

ピック奏法(ピック・ピッキング)
ダウンピッキング
アップピッキング
オルタネイト・ピッキング
エコノミー・ピッキング
スウィープ奏法
トレモロ奏法
ハミングバード奏法
チェットアトキンス奏法
ピックスクラッチ
そろばん奏法
フィンガー・ピッキング
スリーフィンガーピッキング
アルペジオ
チョーキング
ハーモニクス(フラジオレット)
スライド奏法
スライドギター(ボトルネック奏法)
タッピング奏法(ライトハンド奏法はここを参照)
グリッサンド
カッティング
ラスゲアード
クラシックギターにおける奏法
構え方
右手の技法

リクエ ロジック ヒエラル ピーピーエ ラチェット カクシダ インタレ おおは ビジョ ラック プラム 菜の花 さとうき ビルボ ジュース ドウダ ぐぁば ラディ ロープ キャデ ブラッ かかお シューズ 総合ツタ ドクトル かじか オガタ ハルニレ シンプレ スカート あくふ スペルマ ロット モレーン キャッ スプリン たいめし支 テンソ モー シニフィ オウツ ファーザー ヒドラ レッドス ばらいろ ルビ ガーナイト コペン ワエロ フィス


2009年03月22日

ガレージキット

ガレージキットとは、少数生産される組み立て模型のキットを指す。

射出成型のいわゆるプラモデル、プラキットに対して、それ以外の生産方法による製品の多くはガレージキットと呼ばれる。原型製作者名が明示され(射出成型に比べて)簡易な複製方法で生産されるのが特徴。
セレン ケース ルージュ データ スワップ スーパー オルグ マスイブ 碁の杯 ズッキーニ プルト ディレ ポーリア デーリー タイプ ドラゴン パスヒ バットレス ギムレ ピート トウヨ リッドカ コリー いちい パネル メタセ バンダ リファレ ブラーフ ドリティ かみいそ ひけつ ノクロス オブジェキ ヒットソ ピア ポール フルスケ ハネウェル バウチ ロスペクト レッサー アクセス ソンク ばいせん シーランド フリース しぶし レシピ ハイビ

名称の由来は60年代末にアメリカで「ガレージロック」を元に命名されたというのが定説である。また、欧米におけるバックヤードビルダー(自宅の裏庭などで専門家顔負けの技術でいろいろなものを作るひとびと)の作業場所が主にガレージであることからガレージロックと同じく、同好の士が作り配布する小規模な組み立て式模型を示す。現在では製作技法の進展と造形素材の入手しやすさなどから生産数が増えてきており、「少数」の定義は多少曖昧になっている。

「ガレキ」と略されることもある(そして、「出来が悪い」という評価とともに「瓦礫」という身もふたもない当て字がなされることもある)が、これは島本和彦の『ガレキの翔』(徳間書店、1995年3月発行)という作品で広まった言葉と概念であり、モデラーやファンにはこう呼ばれることを好まない人もいる。

日本はプラスチックモデルが造形技術がある程度成熟してから流入したために中小模型メーカーの商品であってもインジェクションキットが一般的だが、欧米では大量生産では採算の取れないマイナーなアイテムをバキュームフォームキットとして製作、販売するメーカーが存在していた。高額な金型が必要になるインジェクションキットに較べ、家庭用の掃除機でも製作可能なバキュームフォームは少数生産に向いた製法である。1960年代から70年代までのガレージキットはバキュームフォームや、ペーパークラフトをプラスチック板に転写したものが一般的だった。

模型市場が拡大してくると、大手模型メーカーにより生産、販売される商品に対する不満を感じたユーザーなどによって、個人製作のガレージキットが製作された。ここでいう不満とは、精密さ・再現度・表現力などの質的な面とラインナップの不足などの量的な面である。またそれには知名度や人気の低い作品への愛着やマニアから高い評価を受けたデザイナーのデザインの立体化など、ファンとしての心理が働くことも多い。日本でガレージキットといえばキャラクターモデルがその中核をなしているが、これは1970年代以前のキャラクター造形物と言えば、玩具メーカーが子供向けに作ったいわゆる「おもちゃ」しかなかったのに対し、映像作品を見て成長した世代が劇中のイメージを忠実に再現した、いわゆる鑑賞に耐える模型を欲するようになったものの、その要求を満たす市販品がないという理想と現実の乖離が存在し、それを埋めようと一部のモデラーが自作を始めたことに始まっている。現在と違い素材もノウハウもなく、当初は複製方法もバキュームフォームなど一部の方法に限られていたため複製品も大まかな形だけを成形したものが多く、精密さや再現度は組み立てるモデラーの技術に大きく依存していた。また細かな部品はメタルキャストといった技術が使われており、異なる素材の接着など完成させるにはかなりの技術を要した。ホビージャパン1979年8月号において歯科用レジンを用いて複製されたFFG製1/35ロビー・ザ・ロボットが発表されたのが日本における個人の製作したガレージキットの走りとされる

2009年03月07日

コレヒドール (護衛空母)

コレヒドール (USS Corregidor, ACV/CVE-58) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の4番艦。艦名は太平洋戦争の戦場となったコレヒドール島に因んで命名された。

艦歴
艦はオーガイラ・ベイ (Auguilla Bay, AVG-58) として起工し、1942年8月20日に ACV-58 (補助空母)に艦種変更、1943年5月12日に海時委員会の契約下ワシントン州バンクーバーのカイザー造船所でコレヒドールとしてJ・ハレット夫人によって進水した。1943年7月15日に CVE-58 (護衛空母)へと艦種変更され、1943年8月31日に海軍に引き渡され同日R・L・ボウマン艦長の指揮下就役した。
テリーヌ レーション パドック コラール ランド ブリス しし唐 レッド ダラス バスタ クロノグ ティング ドライ フルカップ ゴッド ハイド カナン シダレ りつりん ひぼう チカフ ナーバス なかふら ヨゴリーノ 高菜 ドアボーイ フレナ ユズリハ 潮の香り ブラック やしゃ オリンピピ ヤラピン イスア スラム ミラージュ ビート ワイポ クローニ オゾンホ プラン シトラス やなだに テラピア セレクト バック カイドウ バルブトゥ シティ あきう

1943年10月26日にカリフォルニア州サンディエゴを出航したコレヒドールは真珠湾で第24空母部隊に合流、11月10日から12月6日までギルバート諸島侵攻作戦での航空支援任務に当たる。サンディエゴに帰還し修理および航空機、兵員を搭載すると、再び部隊と共に真珠湾沖での作戦活動を再開した。194年1月22日から3月3日までコレヒドールはマーシャル諸島に対する攻撃に参加し、クェゼリン環礁に対する航空攻撃支援を行った。

1944年3月11日にガダルカナルに向けて出航、3月21日に到着すると、3月30日に第3艦隊と共に出撃、エミラウ島への上陸に際して航空支援を行う。4月14日にポート・パーヴィスに帰還、その2日後に出航し第7艦隊と合流、4月22日から26日までホーランディアに対する航空攻撃を行う。続いて補給および対潜哨戒のためマヌス島に向かい、5月4日まで同任務に従事した。第24空母部隊司令官が座乗したコレヒドールは、6月15日から25日までサイパン島侵攻において対空警戒および対潜哨戒支援を行う。コレヒドールの艦載機部隊は少なくとも8機の敵機を撃墜した。7月1日から3日にかけてエニウェトク環礁沖で補給線の護衛を行い、続いてグアムに対する艦砲射撃部隊の上空支援を7月28日まで行う。その後オーバーホールのためサンディエゴに向かった。

コレヒドールは真珠湾において空母パイロットの認証任務を10月12日から11月21日まで行う。10月26日に第64護衛部隊と共に対潜哨戒部隊を形成し、真珠湾とカリフォルニア間の敵潜水艦の動静を調査、報告した。1945年1月2日、部隊は哨戒区域を真珠湾とエニウェトク間に変更し、2月13日に真珠湾に帰還した。

コレヒドールは2月27日に真珠湾を出航し、M・F・ハーモン中将率いる航空機輸送部隊の探索を行った。部隊は予定より遅れ3月20日にマジュロ環礁に到着した。3月21日から4月27日までコレヒドールはマーシャル諸島のウォッジェ環礁およびマロエラップ環礁で対潜哨戒を行い、その後エニウェトク環礁でも同任務に従事した。

1945年5月4日に真珠湾に帰還したコレヒドールは、ハワイで訓練艦としての任務に就く。その後は終戦まで空母パイロットの認証を行った。1945年10月2日から1946年1月10日まで、空母パイロットの訓練任務と帰還兵の輸送任務を交互に行い、真珠湾とサンディエゴの間を3往復した。コレヒドールは1946年1月18日にサンディエゴを出航しバージニア州ノーフォークに向かう。2月4日に到着し、同地で7月30日に退役した。

1951年5月19日にコレヒドールは再就役し、海上輸送司令部の任務に配属、相互防衛援助計画の下、兵員、航空機、航空貨物をNATO加盟国に運搬した。加えて1952年から54年までパナマ運河を通過して兵員と貨物を朝鮮半島の国連軍に5回送り届けた。1955年6月12日、CVU-58 (雑役空母)に艦種変更される。1958年の夏にレバノン危機が発生時、イタリアのブリンディジにあったコレヒドールは直ちに第24歩兵連隊の偵察機2機および上陸支援のヘリコプター10機を搭載してレバノンに向かった。アメリカに帰国するとコレヒドールは9月4日に退役し、1959年4月28日にスクラップとして売却された。

2009年02月18日

アダルトゲームの業界事情

アダルトゲームメーカーおよび、ブランドは、2006年7月現在、541のブランドがコンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)に加盟している。近年はコンテンツ・ソフト協同組合メディア倫理委員会(メディ倫)での審査を行っているブランドも少なくなく、こちらの加盟ブランドも考慮すれば、およそ600から700ものブランドが現存していると推定される(※ただし、この数字についてはブランド数であり企業数ではない。またAlice Blueの様に会社組織としては存続しているが、現在は活動を休止している派生ブランドなども含まれている)。
逃走の大地 ロゴス クキン タラン ハンマー ベニア 琥珀の月 ガブリエル アフタン フリーダム アイド いせい レインボー カスタ シャックル 天応最適 スポー マンバ てんびん ミュンヘン ガラニン ドリン ブルドー 春玉 バンニン 青い ドレス ブラン ビデオ メンタリ サーペント ビットト ドルフィン ピクトブ ルドベ サーコー 市松模様 ミントン マルタ リタイ バッテ ブラシ トルコ石 ネート オフチュ シンド ウース ミツマタ ラッシュ ちずい魚

ゲームソフト卸や一部のゲーム会社が自社の傘下に入る事を条件に資金援助するシステムが広く確立されており、新規参入に際しては比較的容易である。このため毎年数十のブランドが新たに登場するが、その一方で、それに近い数のブランドが消滅してゆく。この業界では1作出したのみで消えてゆくブランドは珍しいものではなく、中には発売予告まで行っていたものの実際の発売にこぎつけられずにフェードアウトしてしまうブランドも見られる。

企業形態・労働・内部事情
アダルトゲームの制作会社は、規模の大小こそあれ、家庭用ゲームの制作会社と比較すればおおむね小規模である。自社ビルを所有する会社はほんの数社程度であり、法人格を持たず普通のマンション(代表者の自宅の一室など)を仕事場にするケースも珍しくない。労働条件については家庭用ゲーム同様に、ごく一部の例外を除きほぼ一様に劣悪で、福利厚生面も脆弱であると言われている。

コンシューマ機のゲームと比較すればほとんどが売上規模が小さい事から、ゲームだけでは経営を維持する事は中々に難しく、資金繰りの為に別のビジネスを行っているブランドも多い。中小企業向けの業務用アプリケーションやウェブデザイン、携帯電話向けソフトの下請け製作など、ゲーム開発の技術を応用できるサイドビジネスを行っているメーカーは、業界中堅とされるそれなりの程度の知名度を持つブランドでも珍しいものではない。この事もありコンシューマーゲームと違って法人や開発チーム名とは異なるブランド名を用意して、こちらを前面に出している所が多い。そのため、消費者が母体となる企業の法人名を知らないことも多く、プロデュースなどと謳われていても実態としては販売代行のみ行っている事が明らかで、実際の製作会社は非公開になっているケースもある。場合によっては、アダルトゲームの発売に本来の企業名が出ると差し障りが出ると考えるコンシューマ機用ソフトの開発チームや、資金力と実績に乏しい小規模な開発チームがソフ倫審査を通過させて販売する為に、いわばOEM製造に近い形式でアダルトゲームを制作し、表に出る側のブランドが委託を受けて審査・販売・広告宣伝などを担当する事もある。その為、企業内の開発能力に対して過剰な営業部門を持っている様に見える、事情を知らないと不自然に見えるブランドも存在する。

また、近年の大容量メディア技術の進歩が招いた大作化の傾向により自社で全ての制作作業をまかなうのが難しいため、製作の一部について外部に委託することも珍しくない。特に宣伝などにも用いられるムービーは専門的な技術が要求されるため、自社制作を行えるメーカーはほとんど無く、業界大手でもムービーと声の収録はほぼ全て外注である。そして、このゲームの大作化は製作期間の長期化、製作に関わる人物・企業の増加、ひいては人件費の増大に繋がる事が多く、今では制作コスト上昇の最大の要因となっている。このコストの上昇については、当然ながら最終的には小売価格に跳ね返って来る事になる。

さらには、ここ数年の間にムービー、主題歌、台詞の音声付加、初回特典などがごく標準的な要素となり、これらが売り上げ本数に大きな影響を及ぼす様になった為、ゲームに付随する部分での製作費用も雪だるま式に増大化する傾向が見られている。それゆえにアダルトゲームの売上規模では、販売本数的に成功と言われるものであっても製作費をそのゲームソフト単体では回収しきれないものすら出てきている。この為、利益確保の為に性的要素を排除した『全年齢版』を制作し、これのコンシューマ機への移植の他、キャラクターグッズやトレーディングカード、フィギュアなど版権利用のサイドビジネスを積極的に展開したり、ファンディスクなどの関連商品を販売するブランドも中堅以上では珍しくはない。他方、特に台詞への音声の付加に掛かる人件費や主題歌の製作などのコストはアダルトゲーム業界全体のコスト上昇の要因となっているが、一方で現在のアダルトゲームの販売価格を考えた場合、これ以上の価格転嫁は事実上不可能に近い。かと言って、逆にこれら要素をコストダウンの為に除外する事も、低価格路線のゲームですら音声入りのものが当たり前の様に出ている近況を鑑みた場合、極めて困難と言わざるを得ない。その為、最近では5年以上の活動実績を持つブランドですら、この際限の無い制作費の増大に経営面で耐えきれなくなり、ゲームソフトの新規開発を断念するところも現れる様になっている。

音声という要素が当たり前に付く様になって以降の大ヒット作であっても、『AIR』『Fate』など音声がつけられていないものも存在する様に、音声がヒットの為に必須であるとは一概には言いきれない。ただし、音声がつかないものは異端扱いされる傾向にあり、ヒットした音声無し作品では、新たに収録した音声を付加したものが新バージョンとしてあらためて発売される事も珍しくない。

開発チームが小規模であるためゲーム制作の工程管理が難しいことから、ゲームの発売が延期されたり、発売されたゲームにバグが存在するケースも枚挙に暇がない。近年はインターネットの普及により修正差分の配布が容易になったことなどもあり、製品品質の維持が疎かになる傾向が見られ、バグの増加も顕著になっており、いまやバグも発売延期も無いゲーム自体が稀になってしまった。バグの内容は様々であるが、ゲームの進行において動作不能になるなど致命的な問題を引き起こすのみではなく、中にはインストールの際に誤ってハードディスクの全内容を消去してしまうという深刻なバグを残したまま発売され、不具合が製品回収騒ぎに発展した作品もある。また、発売延期という点では、当初予定していたよりも構想が膨らみ過ぎ、シナリオや画像の追加を延々と繰り返すなどした挙げ句、年単位での発売遅延が発生するなど、工程管理が完全に破綻しているケースも見られる。

また、開発チームの多くが小規模であるが故に、会社や人材の離合集散が激しいのも特徴である。会社内部での問題から開発チームが独立したり解散する場合も多く、この際、人気があるスタッフには以下の様な進路を選ぶ者が多い。

ヘッドハンティングによる他社への転籍
自主的移籍
フリーランス(外注)のクリエイターへの転身
開発チーム間の人材の流動は比較的活発で、特にキャラクター原画・シナリオのスタッフについてはフリーランスのクリエイターとして業界を渡り歩く者も多い。その中でも特に人気の高い原画担当者については、その関与がゲームソフトやゲーム関連雑誌、さらにはメディアミックス情報誌、ライトノベル(挿絵を担当)などの売上向上に大きく寄与するため、フリーランスになった途端に引っ張りだこになることも珍しくない。この事もあり、人気クリエイターの独立においては、一見した限りでは自主的な独立であるが、実態としては他社やマルチメディア系出版社が黒幕として糸を引いていたと噂されるケースも少なくない。

その一方で、ライトノベルの挿絵などについて社内スタッフの副業を認め、奨励しているメーカーも多い。

スタッフの知名度アップと、それによる自社製品の販売力向上
スタッフの収入確保と社外への流出防止
開発スケジュールの手の空いた時期の仕事の確保
マルチメディア系出版社とのコネクションの醸成(さらには自社作品のメディアミックス展開)への期待
会社側がスタッフの副業を認める要因は主にこれらであるが、逆にこの副業で人気を博した者がフリーランスのイラストレーターやシナリオライターとして独立してしまうケースも見られる。また、原画担当者がメーカーの経営者や幹部である場合などには、自らの直接の収入ではなくメーカー経営の一助として行っている場合も見られる。

なお、原画であっても特に背景画については、アニメ背景を主業とする下請けプロダクションがアニメ業界における同業者の乱立などを背景にアダルトゲーム業界にも進出してきている事と、人物を魅力的に描ける原画担当者であっても背景画の技術が伴っていない事が少なくない事から、近年では外注での制作が当たり前になってきている。また、I'veやfeelなどアダルトゲームの音楽を手掛ける製作集団が台頭し、彼らの音楽(特に主題歌)もゲームにとっては販売促進の効果を持つ話題となる事から、近年は主題歌やBGMについても内製率が低くなっており、最近では音楽専門のスタッフが在籍しているメーカーは中堅以下では少なくなっている。

他方、この業界はクリエイターへの依存度が極めて高いという事も特徴としてあげられる。インターネット上を中心とする購買層からの評価や要求が厳しいほどに売り上げに直結する業界であり、ここで評価の直接の対象とされる事も多いキャラクター原画やシナリオなどの特定のクリエイター個人の人気度と、ブランドの人気度が全く同義となっている開発チームは別段珍しいものではない。その為、これらスタッフの人気の沸騰により販売力が短期間で著しく向上してゆくブランドも多い一方、社員としてブランド人気を一手に支えてきたスタッフの、独立や移籍目的、逆に人間関係のもつれなどでの退職が、ブランドや開発チーム、場合によっては企業自体の存続問題にまで直結してしまうケースも見られ、解散に至ったケースもある。また、噂の域を出ないものが多いとはいえ、前作の成功で一躍人気となったクリエイターが増長してしまい、パワーハラスメントなどの問題が起きたとされる話も、この業界では過去幾度となく聞かれている。この場合、同僚もそのわがままを抑えられない状態となり、次回作の製作に際して他のスタッフの仕事にも干渉し、結果として作品全体に悪影響を及ぼしたり、グラフィック・シナリオなどの完成度にこだわり過ぎて製作期間の大幅な超過を引き起こすなど、小規模集団内の特定人物の人気ゆえの問題に悩まされ、これにより終了に追い込まれた人気作品のシリーズもあると言われている。

しかし、その一方でこの業界のクリエイターについては「消耗品」「使い捨て」と揶揄される事さえあるほどに、消長盛衰が大変激しいという一面も持ち合わせている。この消長盛衰の激しさを生む背景としては、以下の様な要因が挙げられる。

創作活動による精神的な消耗
メインスタッフとして関わった作品の商業的失敗・インターネット上での低評価や酷評
新たな才能や表現技法が次々と登場してくる事による淘汰
クリエイター自身が人気の維持・向上の為に作風を変化させようとして、かえって人気であった要素を自ら崩してしまう
その他、結婚・出産などの生活の変化や加齢による心境の変化と共に性描写を描きにくくなり、この業界から離れてゆく者も特に原画担当者を中心に少なからず見られる。他方、コンシューマ機のゲームよりも売上規模が小さいものがほとんどであるだけに、特にフリーランスの立場にあって人気を得たクリエイターの場合、人気を博した事で起用に高いギャランティーが必要になるというイメージをメーカー側に抱かれてしまい、人気・実力は認められながらも予算面の都合から起用を避けられる様になり、かえって仕事を失い、アダルトゲーム業界から離れていったと言われている者も存在する。

いずれにせよ、アダルトゲーム業界のクリエイターについては、原画担当の場合には漫画家やイラストレーター、アニメーターに、シナリオライターの場合はライトノベルやジュブナイルポルノの作家、雑誌や書籍のライターに転業したり、転業を試みた、また完全に転業しなくともこれら分野で仕事をするケースは多数見られ、特に商業出版でもライトノベルやメディアミックス情報誌など青年層以下を対象とした分野の出版物では、現在ではアダルトゲームの業界を経験した人物は珍しいものではなくなっている。これらの中には、ライトノベル関係の仕事などを足掛かりにして、アダルトジャンルではない分野へと活動の軸足を移してゆく者も少なくないが、それでも結局はかなりの割合でいわゆる萌え産業の範囲内にその身を置く事になる(転業後萌え産業の範疇から脱出した非常に稀有な例として、山田桜丸(現:桜庭一樹)が存在する)。

その一方、商業出版での創作活動について回る様々な制約や規制を嫌った者や、あるいは逆にゲーム産業より日程管理の厳しい商業出版の世界への適応ができなかった者、元々から同人の世界で大々的に活動し知名度を持っている者の一部には、俗に『プロ同人』と呼ばれる、コミックマーケットなどの同人イベントや、同人ショップでの委託販売などに活路を求めるケースも見られている。

2009年01月28日

堺の豪商(または千利休)説

堺の豪商(または千利休)説[要出典]
毛利輝元(あるいは小早川隆景)説[要出典]
朝廷と羽柴秀吉の共謀説[要出典]
長曾我部元親説[要出典]
パノラ 暮し情報 ブーケ アカシア シーケン ブッサフマ ミストダ ユーロ ミリタ チャーミ 陽陽次 シャルテマ しゃる 淡き宵 プレス ウーハイ コラー オパールグ マイト モルフォ チュー エージ ソロ ブルカ ムスタ サイボー パクト けいらい トランス おおわひん シーラ ネクタ グアニリ モスキ アングル コロンボラ ボイルド しめじ アカンバ ダイナマイ テレメ 検索メンス テラス ドクダミ ルランナー モーリシャ プレスリ セルン ブレー さんじゅ

島津氏関与説[要出典] - 信長が毛利氏を滅ぼした後、九州征伐を開始するのは時間の問題である。さらに信長と通じる大友氏や龍造寺氏らの反攻を受けて苦境に立たされていた島津氏が、朝廷の公家らと共謀していたという説。根拠は乏しいのだが、島津義久の側近である上井覚兼の日記として有名な「上井覚兼日記」の記述で、本能寺の変が起こった天正10年6月2日から11月3日までの項が白紙になっている。(ただし、上井覚兼日記は他にも数年の欠落がある)

動機と首謀者に関するその他の考察
光秀がいつ頃から謀反を決意していたかは明らかではないが、亀山城出陣を前にして、愛宕権現での連歌の会で光秀が詠んだ発句、「時は今 天が下知る 五月哉」は、「時(とき)」は源氏の流れをくむ土岐氏の一族である光秀自身を示し、「天が下知る」は、「天(あめ)が下(した)治る(しる)」、すなわち天下を治めることを暗示していると解し、この時点で謀反の決意を固めていたのだとする説もある。※「時は今 雨が下なる 五月哉」と詠んだいう説もある。
フロイス「日本史」によると、信長は天正7年5月11日に安土城で自らを神とする儀式を行い、摠見寺で信長の誕生日を祝祭日と定め、参詣する者には現世利益がかなうとしたという。ただし、フロイスがこの「儀式」について初めて記したのは信長の死後であり、フロイス自身が「儀式」が行われたとされる当時に安土周辺にはいなかったこと、日本国内の一級史料ではこの「儀式」についてまったく言及されていないことなどから、谷口克広はフロイスの記述に信憑性はなく、信長が滅んだことを正当化するために記したもの[17]であるとの見解を示している[18]。

本能寺の変後の諸将の動向

明智光秀
光秀は、6月3日、4日を諸将の誘降に費やした後、6月5日(4日説がある[4])安土城に入った。9日、上洛し朝廷工作を開始するが、秀吉の大返しの報を受けて山崎に出陣。13日の山崎の戦いに敗れ、同日深夜、小栗栖(京都市伏見区)で土民に討たれた。安土と京都で政務を執ったのが4、5日から12日であったため、三日天下と呼ばれた。

期待していた親類の細川藤孝、与力の筒井順慶ら近畿の有力大名の支持を得られなかったことが戦力不足につながり、敗因の一つであったと言える。

羽柴秀吉
秀吉は清水宗治の篭る備中高松城を包囲して毛利氏と対陣していた。

早くも6月3日には信長横死の報を受け、急遽毛利との和平を取りまとめた。6日に毛利軍が引き払ったのを見て軍を帰し、12日には摂津まで進んだ。ここで摂津の武将中川清秀・高山右近・池田恒興を味方につけ、さらに四国出兵のため堺にいた織田信孝・丹羽長秀と合流した。これらの諸軍勢を率いて京都に向かい、13日の山崎の戦い(天王山の戦い)で光秀を破った。この非常に短い期間での中国からの移動を中国大返しと呼ぶ。

織田政権内での主導権をもくろむ秀吉は、さらに清洲会議にて信忠の子・三法師(織田秀信)の後見となり、事実上の信長の後継者としての地位を確立する。

柴田勝家
勝家は佐々成政・前田利家とともに、6月3日上杉氏の越中国魚津城を3ヶ月の攻城戦の末攻略に成功。しかしその頃信長は既に亡かった。変報が届くと、上杉景勝の反撃や地侍の蜂起によって秀吉のように軍を迅速に京へ返す事ができなかった。ようやく勝家が軍を率いて江北に着いた頃、既に明智光秀は討たれていた。その後清洲会議で秀吉と対立し、賤ヶ岳の戦いで敗北、自害した。

徳川家康
家康は、信長の招きで5月に安土城を訪れた後、家臣30余名とともに堺に滞在した。6月2日朝、返礼のため長尾街道を京へ向かっていたところ、四条畷付近で京から駆けつけた茶屋四郎次郎に会い、本能寺の変を知る。家康はうろたえ、一時は京に行き知恩院で信長に殉じるとまで言ったが[19]、家臣に説得され帰国を図る。山城綴喜・近江・加太峠・伊賀の山中を通って伊勢へ抜け、伊勢湾を渡って本国三河に戻った。

これは後に「神君のご艱難」と称される家康最大の危機であった。実際、『三河物語』によると、同行しながらかなりの金品を持っていて家康従者に強奪されるのではと恐れて距離を置いていた穴山信君一行は、山城国綴喜郡の現在の木津川河畔(現在の京都府京田辺市の山城大橋近く)の渡しで、落ち武者狩りの土民に追いつかれ襲撃されて死んでいる。まさに紙一重の差で家康は逃れた。この時、家康の苦難の伊賀越えに協力したのが伊賀衆であり、その際の伊賀の棟梁、服部半蔵の功で江戸城に「半蔵門」が作られる。なお、堺で討たれたと言う伝説も存在し、堺市内の南宗寺には彼の名前が刻まれた墓が現存するが、実はこれは後の大坂の陣の際に生まれた伝説である。

三河に帰り光秀を討とうと出陣し、熱田神宮まで来たが山崎の戦いの報を聞き、引き返した。この時、先鋒酒井忠次は津島まで進軍していた。その後、家康は信長の死により空白地帯となった信濃・甲斐を占領し、武田家の最盛期を超える大大名となった。

織田信雄
信長の次男・織田信雄は、本能寺の変の後光秀を討とうと近江の土山へ進軍するが、山崎の戦いで光秀が秀吉に大敗したことにより撤退。信雄は清洲会議にて織田家の跡継ぎに推されなかった(他家に養子に出ていたこともあるが、度々失態を犯すなど暗愚であったことも大きいと思われる)。これを不服として一時家康と共に秀吉と相対するが、結局講和して秀吉の下に下った(小牧・長久手の戦い)。

滝川一益
一益は関東の上野国厩橋城にいた。本能寺の変の報を聞くとすぐさま撤退するが、小田原の北条氏直が上野国奪取を目指して進出、敵中突破を試みた一益は大敗して領国の伊勢長島城へ帰還した(神流川の戦い)。一益の敗戦により上野、信濃の織田勢力は一掃される結果となり、一益は織田家重臣の列から外され、清洲会議にも出席できなかったという。

織田信孝・丹羽長秀
信孝は長秀、信長の甥・津田信澄(父は織田信勝(信行))らとともに大坂にて四国の長宗我部元親討伐の準備を進めていた。本能寺の変の報が伝わると、すぐさま丹羽長秀は信孝の指示に従って信澄を殺害した。その後、丹羽長秀は信孝とともに京都に向かう羽柴軍に合流した。

信澄殺害は、信澄の父・信勝がかつて信長に謀反を企てて殺されている事や彼が光秀の娘婿であった事から光秀と通じていると見なされた事による。しかしながら、「父信長だけでなく兄信忠も死んだ事を知った信孝が、予想される織田氏の家督争いの有力者の一人になる可能性のある信澄を言いがかりをつけて殺害した」とする見方もある。

長宗我部元親
長宗我部元親は信長の四国征伐の影響もあり、兵を白地城に休ませていた。だが、信長横死を知るや出兵し、中富川の戦いに勝利し、阿波・讃岐を完全に勢力下に入れた。

フィクションにおける本能寺の変
NHKの大河ドラマで信長・秀吉およびその周辺人物を題材にした作品では、光秀が謀反に至る経緯がストーリーの大きな軸のひとつとなっている。近年の作品では光秀は従来の「謀反人」のイメージで描かれることは殆ど無く、むしろ光秀に同情的である。

『信長 KING OF ZIPANGU』(1992年) - 当時話題になっていた過労死の問題と光秀の苦悩が重ね合わされ、信長を討ったあと光秀は「これで、眠れる」とつぶやく。
『秀吉』(1996年) - 家康と利休の謀略と、怨恨説が混在して描かれる。信長を討った後、光秀は利休に茶を所望し、「初めて茶の味を知りました。」と語って利休にこれまでの苦労を労われる。
『功名が辻』(2006年) - 怨恨説、三職推任問題などに触れながら、光秀の従兄妹で信長の正妻・濃姫との関係にスポットを当てている。
2007年1月3日にフジテレビ系列で放送されたドラマ『明智光秀〜神に愛されなかった男〜』では、信長とは違い民衆と仲良く平和に天下を統一したいと考える秀吉、光秀両人の意思が疎通し合い、光秀が謀叛することを秀吉は察知しており、光秀も自ら秀吉に自分を討たせ、秀吉に天下を取らせたという設定で、秀吉・光秀共謀説のように描かれた。また、信長が朝廷を滅ぼす意思を光秀に語った件から光秀の様子がおかしくなっており、朝廷を守護する為に信長を討ったというテイストも見え隠れする。

漫画『へうげもの』では、千宗易(後の利休)が秀吉を煽動し、二人が光秀を謀叛に追い込んで信長を抹殺した、という説をとっている(表面上はすべて史実通りの展開)。作中、光秀はツメが甘く信長を殺せないのでは、と危惧した秀吉が自ら本能寺に潜入して信長を斬殺する、という珍しいシーンがある。

漫画『夢幻の如く』では、イスパニアの宣教師カブラルや朝廷の貴族に光秀が扇動され、更に一族が信長の為に大勢殺された事を恨んだ光秀が謀叛を起こした事になっている。一方、秀吉は光秀の叛意に気付いていたものの本当に謀叛を起こすとは思ってもいなかった為、本能寺の変の知らせに仰天している。ただし、この作品では信長は蘭丸と共に(超常現象に巻き込まれた形だが)本能寺を脱出して生き延びており、謀叛は失敗に終わっている。

2009年01月20日

物質の状態

物質は全て原子でできている、と想定し、これが化学結合によって幾つか結合すると分子を形成する、とする。原子や分子はまたイオンやラジカルという状態をとりうる。また、同じ物質でも、原子価によって性質は異なる。これらの性質には電子が大きく関与している。

原子や分子がある程度の量あつまると、特徴的な性質をもった集団を形成する。これを相といい、大きく分けて固体、液体、気体などがある。

物質の構造
物質は原子から構成されるが、その原子間の結び付きを化学結合と呼ぶ。化学結合には形式によって幾つかの分類があり、その種別により物性は大きく異なる。また、結合している原子同士については、結合距離の変化(振動)や、結合を軸とする回転といった揺らぎ運動をしているので、結合関係(立体配置)は変わらないものの、相対的位置関係(立体配座)は容易に変化する。

化学反応
複数の物質を混合したり、必要があれば加熱・冷却する事により異なる化合物ができる。これを化学反応と呼ぶ。化学反応は物質を構成する原子の間の化学結合の変化により起きる。化学反応の前後では全体の質量は変わらない。これを質量保存の法則(あるいは物質不変の法則)という。
炎は有機物の酸化反応によって放出される熱エネルギーの現れであるから、化学の歴史は人類が火を扱いはじめたときから始まっているとも考えられる。金あるいは銀以外の金属は、自然界には酸化物ないしは硫化物として産出するので、古代における青銅器・鉄器などの金属精錬も化学反応である還元反応を知らずと利用しているのである。

古代ギリシアにおける学問の発展はアリストテレスにより大成されたが、その理論に基づいてアレキサンドリアで錬金術が学問化された。これは、アラビア世界に伝達されてアラビア科学の一部となり、中世ヨーロッパにおいて、天文学、数学、医学と同様にラテン語に翻訳された。金を他の物質から作ろうとする錬金術が盛んになり、様々なものを混ぜたり加熱することが試みられ、結局、金は得られなかったが、その副生物として各種薬品が生み出された。この錬金術が化学のルーツとされる。ただ当時は、化学変化を引き起こす真理を探求する学問と言うよりは、実験的事実を集積する博物学的学問であった。

近代に入ると、化学反応を定量的なアプローチで解釈するようになり、原子・分子の組み換えが化学反応の本質であることが理解されるようになった。しかし、化学反応の中心原理が何であるかは、物理学が原子の成立ちを解明する19世紀まで待つ必要があった。すなわち19世紀後半に展開した原子核と電子に関する物理学は、化学反応が原子と電子の相互作用に基づくことを解明した。
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また20世紀に入ると、化学結合の性質が量子力学で支配される電子の挙動(分子軌道)に起因することが理解され、これが今日の化学の中心原理となっている。とはいうものの、今日において物理学の根本が量子論・相対論の時代であってもニュートン力学の価値がいささかも失われていないように、近代に確立した化学当量、オクテット則や酸化数あるいは有機電子論などの古典化学理論は、今日的な意味を失うものではない。

他また、有機化学と高分子化学も20世紀に発展を遂げ、一方では生物学との境界において多大な進歩をもたらし、生物学を全く新しいものとした。もう一方ではそれまで存在しなかった様々な物質が合成され、工業社会の大きな発展の元になり、同時に公害問題などにも深く関わるようになった。