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2009年03月 アーカイブ

2009年03月07日

コレヒドール (護衛空母)

コレヒドール (USS Corregidor, ACV/CVE-58) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の4番艦。艦名は太平洋戦争の戦場となったコレヒドール島に因んで命名された。

艦歴
艦はオーガイラ・ベイ (Auguilla Bay, AVG-58) として起工し、1942年8月20日に ACV-58 (補助空母)に艦種変更、1943年5月12日に海時委員会の契約下ワシントン州バンクーバーのカイザー造船所でコレヒドールとしてJ・ハレット夫人によって進水した。1943年7月15日に CVE-58 (護衛空母)へと艦種変更され、1943年8月31日に海軍に引き渡され同日R・L・ボウマン艦長の指揮下就役した。
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1943年10月26日にカリフォルニア州サンディエゴを出航したコレヒドールは真珠湾で第24空母部隊に合流、11月10日から12月6日までギルバート諸島侵攻作戦での航空支援任務に当たる。サンディエゴに帰還し修理および航空機、兵員を搭載すると、再び部隊と共に真珠湾沖での作戦活動を再開した。194年1月22日から3月3日までコレヒドールはマーシャル諸島に対する攻撃に参加し、クェゼリン環礁に対する航空攻撃支援を行った。

1944年3月11日にガダルカナルに向けて出航、3月21日に到着すると、3月30日に第3艦隊と共に出撃、エミラウ島への上陸に際して航空支援を行う。4月14日にポート・パーヴィスに帰還、その2日後に出航し第7艦隊と合流、4月22日から26日までホーランディアに対する航空攻撃を行う。続いて補給および対潜哨戒のためマヌス島に向かい、5月4日まで同任務に従事した。第24空母部隊司令官が座乗したコレヒドールは、6月15日から25日までサイパン島侵攻において対空警戒および対潜哨戒支援を行う。コレヒドールの艦載機部隊は少なくとも8機の敵機を撃墜した。7月1日から3日にかけてエニウェトク環礁沖で補給線の護衛を行い、続いてグアムに対する艦砲射撃部隊の上空支援を7月28日まで行う。その後オーバーホールのためサンディエゴに向かった。

コレヒドールは真珠湾において空母パイロットの認証任務を10月12日から11月21日まで行う。10月26日に第64護衛部隊と共に対潜哨戒部隊を形成し、真珠湾とカリフォルニア間の敵潜水艦の動静を調査、報告した。1945年1月2日、部隊は哨戒区域を真珠湾とエニウェトク間に変更し、2月13日に真珠湾に帰還した。

コレヒドールは2月27日に真珠湾を出航し、M・F・ハーモン中将率いる航空機輸送部隊の探索を行った。部隊は予定より遅れ3月20日にマジュロ環礁に到着した。3月21日から4月27日までコレヒドールはマーシャル諸島のウォッジェ環礁およびマロエラップ環礁で対潜哨戒を行い、その後エニウェトク環礁でも同任務に従事した。

1945年5月4日に真珠湾に帰還したコレヒドールは、ハワイで訓練艦としての任務に就く。その後は終戦まで空母パイロットの認証を行った。1945年10月2日から1946年1月10日まで、空母パイロットの訓練任務と帰還兵の輸送任務を交互に行い、真珠湾とサンディエゴの間を3往復した。コレヒドールは1946年1月18日にサンディエゴを出航しバージニア州ノーフォークに向かう。2月4日に到着し、同地で7月30日に退役した。

1951年5月19日にコレヒドールは再就役し、海上輸送司令部の任務に配属、相互防衛援助計画の下、兵員、航空機、航空貨物をNATO加盟国に運搬した。加えて1952年から54年までパナマ運河を通過して兵員と貨物を朝鮮半島の国連軍に5回送り届けた。1955年6月12日、CVU-58 (雑役空母)に艦種変更される。1958年の夏にレバノン危機が発生時、イタリアのブリンディジにあったコレヒドールは直ちに第24歩兵連隊の偵察機2機および上陸支援のヘリコプター10機を搭載してレバノンに向かった。アメリカに帰国するとコレヒドールは9月4日に退役し、1959年4月28日にスクラップとして売却された。

2009年03月22日

ガレージキット

ガレージキットとは、少数生産される組み立て模型のキットを指す。

射出成型のいわゆるプラモデル、プラキットに対して、それ以外の生産方法による製品の多くはガレージキットと呼ばれる。原型製作者名が明示され(射出成型に比べて)簡易な複製方法で生産されるのが特徴。
セレン ケース ルージュ データ スワップ スーパー オルグ マスイブ 碁の杯 ズッキーニ プルト ディレ ポーリア デーリー タイプ ドラゴン パスヒ バットレス ギムレ ピート トウヨ リッドカ コリー いちい パネル メタセ バンダ リファレ ブラーフ ドリティ かみいそ ひけつ ノクロス オブジェキ ヒットソ ピア ポール フルスケ ハネウェル バウチ ロスペクト レッサー アクセス ソンク ばいせん シーランド フリース しぶし レシピ ハイビ

名称の由来は60年代末にアメリカで「ガレージロック」を元に命名されたというのが定説である。また、欧米におけるバックヤードビルダー(自宅の裏庭などで専門家顔負けの技術でいろいろなものを作るひとびと)の作業場所が主にガレージであることからガレージロックと同じく、同好の士が作り配布する小規模な組み立て式模型を示す。現在では製作技法の進展と造形素材の入手しやすさなどから生産数が増えてきており、「少数」の定義は多少曖昧になっている。

「ガレキ」と略されることもある(そして、「出来が悪い」という評価とともに「瓦礫」という身もふたもない当て字がなされることもある)が、これは島本和彦の『ガレキの翔』(徳間書店、1995年3月発行)という作品で広まった言葉と概念であり、モデラーやファンにはこう呼ばれることを好まない人もいる。

日本はプラスチックモデルが造形技術がある程度成熟してから流入したために中小模型メーカーの商品であってもインジェクションキットが一般的だが、欧米では大量生産では採算の取れないマイナーなアイテムをバキュームフォームキットとして製作、販売するメーカーが存在していた。高額な金型が必要になるインジェクションキットに較べ、家庭用の掃除機でも製作可能なバキュームフォームは少数生産に向いた製法である。1960年代から70年代までのガレージキットはバキュームフォームや、ペーパークラフトをプラスチック板に転写したものが一般的だった。

模型市場が拡大してくると、大手模型メーカーにより生産、販売される商品に対する不満を感じたユーザーなどによって、個人製作のガレージキットが製作された。ここでいう不満とは、精密さ・再現度・表現力などの質的な面とラインナップの不足などの量的な面である。またそれには知名度や人気の低い作品への愛着やマニアから高い評価を受けたデザイナーのデザインの立体化など、ファンとしての心理が働くことも多い。日本でガレージキットといえばキャラクターモデルがその中核をなしているが、これは1970年代以前のキャラクター造形物と言えば、玩具メーカーが子供向けに作ったいわゆる「おもちゃ」しかなかったのに対し、映像作品を見て成長した世代が劇中のイメージを忠実に再現した、いわゆる鑑賞に耐える模型を欲するようになったものの、その要求を満たす市販品がないという理想と現実の乖離が存在し、それを埋めようと一部のモデラーが自作を始めたことに始まっている。現在と違い素材もノウハウもなく、当初は複製方法もバキュームフォームなど一部の方法に限られていたため複製品も大まかな形だけを成形したものが多く、精密さや再現度は組み立てるモデラーの技術に大きく依存していた。また細かな部品はメタルキャストといった技術が使われており、異なる素材の接着など完成させるにはかなりの技術を要した。ホビージャパン1979年8月号において歯科用レジンを用いて複製されたFFG製1/35ロビー・ザ・ロボットが発表されたのが日本における個人の製作したガレージキットの走りとされる

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